日本唯一の手木版和装本出版社
美術書出版(株)芸艸堂
UNSODO Book Web
ふれてみませんか…木版摺和装本の世界へ 神坂雪佳「狗児」
書籍へ 木版の本へ 版画へ グッズへ
本をさがす
書名
著者
キーワード
カートを確認する
ご注文について

Contents
最新刊
オススメ
既刊案内
Topic
取扱書店
Infomation
会社案内
お問い合わせ
リンク
書店様へ注文書ダウンロード
芸艸堂 京都本店 ブログ
北斎漫画×UT
ぬりえ見本
オススメ

好評発売中!
発見!隠れたデザイナーたち
シリーズ<近代図案コレクション>は、小社が明治期より刊行して参りました
多色木版摺の図案集を作者別に再編集し、ハンディな形で復刊するものです。
>>著者紹介
●隠れたデザイナーにスポットを当てる新シリーズ
明治維新後、工芸の産業化・西洋化により、染織・陶芸・漆に施されるデザイン・図案は重要な位置を占めていきます。こうした時代の要請に応えて、図案家という職業が確立され、また様々なモチーフの木版摺図案集が刊行されました。木版摺図案集は、画家・図案家の原画に基づき、彫師が板に彫り、摺師が色を摺り重ねます。一枚一枚の和紙に摺られた版画は和綴りで製本され仕上げられていく、きわめて高価なものでした。その一冊一冊を繙くと、多色摺による色彩の美しさはもちろんのこと、現代にも通じる斬新なデザインに改めて驚かされます。
<近代図案コレクション>は、今まで省みられることの少なかった明治から昭和初期にかけて活躍したデザイナーに焦点をあて、生き生きとした新しい美を創り出した図案作品を紹介する新しいシリーズです。
各巻 定価2,940円(本体2,800円+税)
ソフトカバー・カラージャケット装/240ミリ×240ミリ

神坂雪佳 百々世草 第1巻
神坂雪佳 百々世草
神坂雪佳
定価3,024円 (本体2,800円+税)
神坂雪佳 蝶千種・海路 第2巻
神坂雪佳 蝶千種・海路
神坂雪佳
定価3,024円 (本体2,800円+税)
下村玉廣 玉廣画集・大典図案 第3巻
下村玉廣 玉廣画集・大典図案
下村玉廣
定価3,024円 (本体2,800円+税)
河原崎奨堂 源氏模様 第4巻
河原崎奨堂 源氏模様
河原崎奨堂
定価3,024円 (本体2,800円+税)
古谷紅麟 草花模様 第5巻
古谷紅麟 草花模様
古谷紅麟
定価3,024円 (本体2,800円+税)
琳派模様 第6巻
琳派模様
古谷紅麟中村芳中、他 著
定価3,024円 (本体2,800円+税)
更紗模様 第7巻
更紗模様
杉林古香山鹿清華、他 著
定価3,024円 (本体2,800円+税)
美術海 第8巻
美術海
芸艸堂編集部
定価3,024円 (本体2,800円+税)
新美術海 第9巻
新美術海
神坂雪佳 監修/古谷紅麟
定価3,024円 (本体2,800円+税)
若冲画譜 第10巻
若冲画譜
伊藤若冲
定価3,024円 (本体2,800円+税)
花手帖 -花瓶模様 第11巻
花手帖 -花瓶模様
古谷紅麟間部時雄中村秋甫 著/藤井健三 解説
定価3,024円 (本体2,800円+税)
友禅物語―京加賀の美 第12巻
友禅物語―京加賀の美
上野為二 著/藤井健三 解説
定価3,024円 (本体2,800円+税)
織物百科-縞と絣 第13巻
織物百科-縞と絣
古谷雪山河原崎奨堂
定価3,024円 (本体2,800円+税)
御所模様―花づくし 第14巻
御所模様―花づくし
山本雪桂
定価3,024円 (本体2,800円+税)
モダン模様―大正のデザイン 第15巻
モダン模様―大正のデザイン
荻野一水
定価3,024円 (本体2,800円+税)
津田青楓の図案 第16巻
津田青楓の図案
津田青楓
定価3,024円 (本体2,800円+税)
夢二のデザイン 第17巻
夢二のデザイン
竹久夢二
定価3,024円 (本体2,800円+税)
浅井忠の図案 ―工芸デザインの革新 第18巻
浅井忠の図案 ―工芸デザインの革新
浅井忠
定価3,024円 (本体2,800円+税)
吉祥の図案 ―宝づくしと龍・獅子・鳳凰のデザイン 第19巻
吉祥の図案 ―宝づくしと龍・獅子・鳳凰のデザイン
河原崎奨堂
定価3,024円 (本体2,800円+税)

▼神坂雪佳(かみさか・せっか)について
1866(慶応2)〜1942(昭和17)
 慶応2年(1866)に京都粟田口に生まれる。16歳で鈴木瑞彦に師事し、明治21年に品川弥二郎を介して岸光景にあい、明治23年に入門して意匠図案の指導を受ける。雪佳の図に琳派の様子が見られるのは明治25年の『新図案』を最初に明治32年の『ちく佐』からで、そこに光景による蒔絵意匠の様式が濃いのも当然だった。26年に岸光景、谷口香きょう(山+喬)、竹内栖鳳らと「葦手絵会」を設立する。34年にはグラスゴー万国博覧会の見学を兼ねてデザイン視察で渡欧し、帰国後にアールヌーボー偏重の図案傾向を戒めて琳派意匠を説く。同年『染織 図案海路』を刊行。36年に『滑稽図案』を、37年に『蝶千種』、42年に『百々世草』三冊を刊行する。
 図案指導の活動としても40年に美術工芸研究会の佳美会を創立し、佳都美会、佳都美村、京都美術工芸会、京都美術工芸院、再び佳都美村と改称しながらも長年に渡って工芸界の意匠発展に尽す。また中沢岩太、浅井忠、錦光山宗兵衛、宮永東山、五代清水六兵衛、二代伊藤陶山らで「遊陶園」や、39年に中沢、浅井、武田五一、杉林古香、迎田秋悦らで「京漆園」を開く。さらに「光悦会」を結成して、大正3年に光悦の追悼祭や伝記の編纂などの顕彰を行う。昭和17年、77歳嵯峨野で没する。19年に京都市美術館で遺作品展、また平成15年に京都国立近代美術館、ロスアンジェルス・カウンティ美術館などで「神坂雪佳展」が開かれた。近代を通じて関西の染織業界には多大な貢献をしており、まだまだ雪佳の下絵図案が多量に残っているものと思われる。

▼下村玉廣(しもむら・たまひろ)について
 下村玉廣が生まれたのは明治10年12月7日、没したのが大正15年6月10日です。近代における染織産業の発展と染織意匠の展開が見られだす明治初期に生まれ、染織界が大きく変わっていく時期にかけて育ち、玉廣の図案画業の成熟と完成していく時期が偶然にも重なっていることに、時代人として玉廣の担った図案家人生に必然性があったと感じられます。しかし、玉廣の生い立ちや仕事の経緯、そして図案家としての画業に関する詳細を全くといってよいほど知ることはできません。染織業が栄えた明治・大正・昭和期に輩出した染織図案家はそれこそ多くおり、その多くが日本画や西洋画の画業から転向して図案業に携わっています。玉廣もそうした転向者であったらしいですが、なかでもこれほどの数量の図案本の刊行に携わった人物は他にいません。

▼河原崎将堂(かわらさき・しょうどう)について
 1899年京都下京区に生まれ、幼い頃から絵を好み、長じて染織図案を手がけるようになります。古画や古美術品から日本古来の伝統文様を学び、京都の大きな産業である染織図案に生かすとともに、大正〜昭和前期にかけて、木版多色摺による文様図案本を数多く手がけました。そのいくつかは、美しい図案と装本で多くのファンを獲得しました。京都で育まれたやわらかな色彩感覚と自然の草花の観察、常に研究を重ねた故実の知識は、『源氏模様』に遺憾なく発揮されています。

▼古谷紅麟(ふるや こうりん)について
1875(明治8)〜1910(明治43)
 明治8年に滋賀県で生まれる。京都に出て鈴木万年に絵を師事し、明治25年から図案を神坂雪佳に学ぶ。29年の第2回新古美術品展覧会に指物図案で入賞するが、この時すでに紅麟の号を用いており、早くから光琳に対する憧憬が強かったようだ。後も新古美術品展覧会に出品して賞を重ね、審査員となる。33年に京都市立美術工芸学校の嘱託技師として雇用され、38年に同校の助教諭となる。この時期、同僚の松室茂光に建築を、洋画家の浅井忠に木炭画を学ぶ。
 早くから図案集の編集に携わって多くの出版をする。25年の『新美術海』に始まり、42年まで『京華図案』、『雲霞集』、『しましま』、『松津く志』、『伊達模様 花津久志』、『竹津く志』、『梅津くし』、『扇面図案 登古な津』、『はな筏』、『写生草花模様』、『古う里ん模様』、『工芸の美』、『小宇りむもやう』、『あしでもやう』、『縞千種』など多数の出版があるが、43年に突然の病に倒れて36歳の短命で没する。40年以降は琳派の内容が濃く現れ、師の雪佳に迫ろうとする気迫が感じられる。近代初期に京都で図案集を多く刊行したのは古谷紅麟と神坂雪佳、上野清江らが代表である。

▼中村芳中(なかむら・ほうちゅう)
生年不詳〜1819(文政2)
 京都に生まれ、大阪を中心に活躍した江戸後期の画人。大阪で文人達の主導的立場だった木村兼葭堂や文人画と陶技に秀でた青木木米、儒者の十時梅涯らと交遊を持ち、文人画から絵を始めたといわれ、初期は山水画や指頭画をよくしていた。また尾形光琳の画風に私淑し、琳派の特徴である垂らし込みを多様して装飾的な作品を多く描く。寛政年間の末から享和にかけて江戸に移り、享和2年(1802)には独自の琳派様式で『光琳画譜』を江戸で刊行し、琳派様式を強め、おおらかで軽妙洒脱な画風に定評がある。また俳諧にも通じて挿絵を多く描き、滑稽味のある描写にその独自性が見られる。号は温知堂、達々。文政2年(1819)没。

▼谷口香きょう(山+喬)(たにぐち・こうきょう)
1864(元治元)〜1918(大正4)
 元治元年(1864)京都に生まれる。幼時に京都深草の宝塔寺内に預けられ、明治11年に東京で医師を志すが、帰郷して谷口氏の養子となる。16年に幸野楳嶺に師事し、17年に京都府画学校北宗に入学する。21年には古社寺宝物取り調べに従事して古美術の模写を行う。23年の第3回内国博覧会で「雪の佐野荘」が妙技三等賞を受け、26年のシカゴ万国博覧会に出品、また28年の4回内国博覧会に「粘華微笑」を出品して妙技三等賞を取り、有職故実に通じて京都であまり描かれなかった歴史画を得意としていった。
 25年には京都美術学校教授となり、35年に農商務省から派遣されてイタリアに工芸品意匠の調査で渡欧した。帰国後の第1回文展に出品して三等賞を取って4回、5回と審査委員を務める。大正2年に青山御所の杉戸絵の製作を任じられ下絵を提出するが、体調を崩して4年に没する。竹内栖鳳、菊池芳文、都路華香と共に、楳嶺門下四天王の一人とされる。また府画学校時代にフェノロサの講演を聴講して光琳研究をしたり、清水六兵衛に陶磁器の絵を習い。この頃から工芸図案の研究をする。明治24年に酒井抱一の家系に残る光琳絵画を模写して『光琳画譜』を手掛けた。これが京都における近代の琳派研究と琳派の図案研究の魁ともなる。明治27年には西陣織の「小袖幕之図繻珍織」の下絵屏風を描き、また神坂雪佳や竹内栖鳳らと「葦手絵会」を設立して、工芸図案の刷新を図る。

▼伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)
1716(正徳6)〜1800(寛政12)
 伊藤若冲は、1716(正徳6)年京都・錦小路の青物問屋「桝屋」の長男として生まれた。23歳で家業の青物問屋主人を継ぎ、そのかたわら20代後半から狩野派の絵師に学んだ。その後、狩野派を超える表現を目指し、京都の寺院などに所蔵される中国画の模写を千本にわたり営々と続けるが、同時に身の回りの野菜や草花、鳥虫類などを写生する。特に自宅の庭で飼い、観察を重ねて描いた鶏の作品は代表作が多い。
 1755(宝暦5)年、若冲は40歳で次弟に家督を譲って隠居生活に入り、画業に専念する。1758(宝暦8)年頃、代表作「動植綵絵」(御物)の制作を始める。1759(宝暦9)年京都鹿苑寺大書院水墨障壁画、1764(明和元)年、金刀比羅宮奥書院上段の間に「花卉図」、二の間に「山水図」、三の間に「蕪子花図」、広間に「垂柳図」を描く。1768(明和5)年の『平安人物志』絵師の項に応挙に継ぐ三番目に名前が載る。同年、『玄圃瑤華』『素絢帖』制作。1776(安永5)年、石峰寺「五百羅漢石像」制作に着手する。1790(寛政2)年、大阪府西福寺に金地濃彩襖絵「群鶏図」を描く。1791(寛政3)年頃、京都深草の石峰寺に隠棲していたといわれ、観音堂に花卉167面の天井画を遺した。
 若冲の作品は、極彩色の動植物を障壁画や屏風の大画面に描いた作品から、蔬菜等を描いた画巻、軽妙な水墨画、木版や拓版画など幅広く、その画風は他のどの絵師とも違う若冲独自の絵の世界を拓いた。 1800(寛政12)年9月8日京都深草で没。

HOMEへ
Copyright 2007 UNSODO Corporation All rights reserved.
個人情報について